2009年06月22日

社会文化的進化(英: Sociocultural evolution)は

社会文化的進化(英: Sociocultural evolution)は、長期にわたってどのように文化や社会が発展したのかを記述する、文化進化や社会進化についての理論を表す包括的な用語である。このような理論は典型的には技術、社会構造、社会的価値といったものの関係や、なぜそれらが時間の経過と共に変化するのかを理解するためのモデルを与えるものであるが、実際には多種多様であり、変異や社会変化のメカニズムを詳細に述べるものもある。

19世紀の多くの社会文化的進化研究や20世紀のいくつかの研究は、人類全体の進化モデルを示すことを主眼としていた。その場合、様々な社会は社会発展の異なる段階にあるとされた。現在でも世界システム論のアプローチにこの考え方の延長が見られる。もっと最近の20世紀の研究の多くは、個別の社会に特有の変化に焦点を据えており、社会進歩のような一方向への変化という概念を斥けている。社会文化的進化理論の枠組は多くの考古学者や文化人類学者の仕事で用いられている。社会文化的進化についての現代的なアプローチとしては、ネオ進化論や社会生物学、近代化の理論、脱工業化社会の理論などがある。

人類学者や社会学者はしばしば、人間には生来社会的傾向があるが、人間の社会行動の各々は非遺伝的な原因と力学にもとづいている(言い換えればある社会環境のもとで社会的相互作用によってそのような行動が学び取られる)と考えている。それぞれの社会は、社会的(=他の社会との相互作用)かつ生物的(=天然資源や自然的制約との相互作用)な複合的環境のもとで存在しているのであり、こうした環境に自己適応している。従って必然的に全ての社会は変化することになる。
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初期の社会文化的理論はオーギュスト・コント、ハーバート・スペンサー、ルイス・ヘンリー・モーガンらによってほぼ同時に唱えられた(彼らの理論はチャールズ・ダーウィンの進化論とはまったく関係ない。ダーウィンの理論が普及するのは19世紀後半から第一次世界大戦末頃である)。彼らの19世紀的な単系的進化理論によれば、社会は原始的な状態から開始され、時間が経つに従って徐々に文明化していき、西洋文明の文化・技術水準に到達するまで進歩していく。ある種の形態の社会文化的進化理論(主に単系的進化理論)は悪評高い理論を導き、過去には植民地主義や奴隷制などのすでに行われている政策や優生学のような新しい政策を正当化するために用いられることもあった。

多くの19世紀的研究やいくつかの20世紀的研究は、人類を単一の存在とみなしたうえで人類進化のモデルを提示しようとしていた。これに対して20世紀の研究の多くは、多系進化モデルのように、個別の社会に特有の変化に焦点を合わせている。また一方向的変化という考え方(定向進化説、目的論的進化など)も斥けられている。多くの考古学者は多系進化の枠組で研究している。社会変化についての他の現代的な研究としては、ネオ進化論、社会生物学、二重相続理論、近代化論、脱工業化社会論などがある。

2009年06月05日

主君と主従関係を結んで軍事的奉仕をおこなう

騎士(knight)とは、主君と主従関係を結んで軍事的奉仕をおこなう戦士階級の総称である。一般には小領主のことが多く、直接的な軍事担当身分であった。732年のトゥール・ポワティエ間の戦いに際し、フランク王国の宮宰カール・マルテルが騎士制度を創設したことが嚆矢とされる。

中世ヨーロッパにおいては重装騎兵が戦闘の主役であり、そのためには優れた技量と精神的、肉体的な鍛錬が必要だとされ、その資格を有するものに「騎士」の称号を与えたのである。
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騎士になるにはまず、7歳頃から小姓(ページ)となり、主君に仕え騎士として必要な技術を学び、14歳頃に元服すると従士(スクェア)となり、実際の戦闘にも参加するようになり、一人前の騎士と認められると主君から叙任を受けることとなった。叙任の儀式は基本的には、刀礼(主君の前にひざまずいて頭を垂れる騎士の肩を、主君が長剣の平の部分で叩く)というものだが、この儀式を経て始めて長剣を公然と帯びることが、すなわち新騎士を戦闘員として公的に認知されることを意味していた。騎士の戦士としての本来の役割が薄れると、かえって叙任の儀式は複雑化して、宗教的意味合いや騎士道精神が強調されるようになった。騎士道精神とは、勇気、名誉、忠誠、正義、貴婦人への敬慕などの総称であるが、これは騎士社会内部に適用するものであり、農奴や異民族、異教徒にこの精神が発揮されることは概してなかった。

当初は騎士は叙任されるもので、世襲的身分ではなかったが、騎士としての装備を維持する必要から封土が与えられた層に固定され、やがて男爵以上の貴族の称号を持たない層に対する称号となった(ナイト爵)。

2009年05月01日

秀康の武将としての器量

秀康の武将としての器量は一流で周囲からも認められており、武勇抜群、剛毅で体躯も良かったと言われている。一方で江戸城内でたまたま出会った上杉景勝が秀康に上座を譲ろうとすると、秀康と景勝は同じ権中納言といえども、景勝の方がより早くその官位を受けているとして、先官の礼を以って景勝に上座を譲ったともいう。

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同様の逸話は徳川秀忠に対してもあり、福井から江戸に向かい、秀忠が出迎えた折、地位の上下を守ろうとする秀康と長幼の礼を守ろうとする秀忠が互いに先を譲り合い、結局江戸城まで馬を並べて進んだといわれる。
鉄砲を所持したまま江戸に向かおうとして、関所で止められたことに激怒し、関所を大筒で破壊して通行したことがあるといわれる。が、秀康は徳川家中で別格扱いであったため関守が一方的に罰せられたという。
家康が重臣たちに後継者を誰にすべきか質問したとき、本多忠勝と本多正信の両名は秀康の後継を支持した。秀忠には大久保忠隣しか支持が無かったことからも、秀康の器量が徳川家臣団からも高く評価されていた事の例とされる[要出典]。
秀吉の人質時代、伏見の馬場で馬を駆けさせていると、秀吉の寵臣が馬術を競うために秀康に馬首を並べて馬走した。秀康は「自分の許しもなく共駆けするとは無礼千万である」として無礼討ちした。しかし秀吉は秀康のこの行為を、「自分の養子をないがしろにするのは、自分に無礼を働いたことと同じ。秀康の処置は天晴れである」と褒め称えたという。
秀康が家康と伏見城で相撲観戦していたとき、観客が熱狂して興奮状態になり騒ぎ始めた。すると秀康は観客席から立ち上がって観客を睨みつけた。その威厳に観客の誰もが驚き、騒ぎは一瞬で静まったと言われている。この秀康の威厳には家康も驚き、『校合雑記』には「今日の見物ある中に、三河守(秀康)が威厳驚きたり」と述べたという。
秀康は弟の秀忠が徳川氏の家督を継いだとき、伏見城代を務めていた。出雲の阿国一座を伏見城に招いて、阿国の歌舞伎を絶賛した後、こう漏らしたと言う。「天下に幾千万の女あれども、一人の女を天下に呼ばれ候はこの女なり。我は天下一の男となることかなわず、あの女にさえ劣りたるは無念なり」[要出典]。
秀康は、家康に生涯を通じて冷遇されたことから、養父の秀吉をむしろ敬慕していた。そのため、豊臣秀頼のことを弟のように可愛がり、「幕府が豊臣を攻めたら、自分は秀頼を助けて大坂城に入る」と述べたという。
石田三成とも親交があり、三成失脚時、領地まで護送した礼として名刀・五郎正宗を譲り受けた。この名刀は「石田正宗」と称され、秀康の末裔にあたる津山松平家に伝世されている。
秀康には法号が二つある。はじめは孝顕院殿三品黄門吹毛月珊大居士である。秀康は生涯を通じて家康に冷遇されたことを恨み、死に臨んで徳川氏と訣別するため、徳川氏の菩提寺である浄土宗の寺ではなく、結城氏の菩提寺である曹洞宗の孝顕寺に葬るように遺言した[要出典]。その遺言に秀康の家臣団は従ったが、後に秀康の遺骸は浄土宗の浄光院に改葬され、法号も浄光院殿森岩道誉運正大居士と改められた。
秀康の専用武器として知られているのは天下三名槍の一つで駿河嶋田の鍛冶師義助の傑作御手杵である。養父結城晴朝から譲られたこの槍は全長210cm、槍身長138cmもある大身槍で外見上は槍というよりも大剣に近い。

2009年04月17日

オルレアン家

オルレアン家(オルレアンけ、Maison d'Orléans)はフランスの公爵家(オルレアン公、duc d'Orléans)。ヴァロワ家支流とブルボン家支流があり、国王に嫡子がいない場合に王家に後継者を輩出するなど重要な位置づけにあった。王位継承者、王弟などが名乗っている場合が多く、王家とも密接に関わりをもっていた。

ヴァロワ=オルレアン家とブルボン=オルレアン家の2つの支流があるが、ヴァロワ家は主に2家、ブルボン家は主に3家の計5つのオルレアン家が存在した。通常、単にオルレアン家と呼ぶ場合には最後のものを指す。
ヴァロワ=オルレアン家 [編集]
1328年から1589年までフランスを支配したヴァロワ家からは、2つのオルレアン家が誕生している。

最初のオルレアン家は、ヴァロア朝初代フィリップ6世の息子でありジャン2世の弟にあたるフィリップによって1344年に創設された。しかし、1人も子が出来ずフィリップの死去と同時に断絶する。

2つ目のオルレアン家は、シャルル5世の息子ルイによって1392年再興された。ルイ11世の娘と王命により結婚していたルイ・ドルレアンの孫が、世嗣を残さず急死したシャルル8世の後を継ぎルイ12世となる。その後もオルレアン公の爵位は王族に授爵されるが、アンリ3世の暗殺によりヴァロワ=オルレアン家は断絶する。

第1ヴァロワ=オルレアン家当主 [編集]
フィリップ(1344年 - 1375年)

第2ヴァロワ=オルレアン家当主 [編集]
ルイ1世(1392年 - 1407年)
シャルル(1407年 - 1465年)
ルイ2世(1465年 - 1498年) 1498年に国王ルイ12世となる。

ブルボン=オルレアン家 [編集]
1589年からフランス革命・ナポレオン時代などを挟み1830年までフランスを支配したブルボン家からは、3家誕生している。

3つ目のオルレアン家は、アンリ4世の子ニコラが1607年にオルレアン公となるがわずか4歳で死去し断絶した。

4つ目のオルレアン家は、先のニコラの弟にあたるガストンが再興させるが結局、子が出来ないまま亡くなり、再度断絶している。

5つ目のオルレアン家は、ニコラ、ガストンの兄にあたるルイ13世の息子フィリップ1世が再興する。フィリップ1世から数えて5代目にあたるルイ・フィリップは、1830年に起きた7月革命によってフランス王位につくが、18年後の1848年に起きた2月革命により退位し、イギリスに亡命。このオルレアン家は現在も続いている。

第1ブルボン=オルレアン家当主 [編集]
ニコラ(1607年 - 1611年)

第2ブルボン=オルレアン家当主 [編集]
ガストン(1626年 - 1660年)

第3ブルボン=オルレアン家当主 [編集]
フィリップ1世(1660年 - 1701年)
フィリップ2世(1701年 - 1723年)
ルイ(1723年 - 1752年)
ルイ・フィリップ1世(1752年 - 1785年)
ルイ・フィリップ2世ジョゼフ(1785年 - 1793年) フィリップ・エガリテを名乗る。
ルイ・フィリップ3世(1793年 - 1830年) 1830年に国王ルイ・フィリップとなる(在位:1830年 - 1848年)。
フェルディナン・フィリップ(1830年 - 1842年) 第1王子、オルレアン公の称号を継承。

オルレアン派王位請求者 [編集]
2月革命によりルイ・フィリップが退位した後、ブルボン=オルレアン家当主は正統派の王位請求者(ブルボン家宗家、後にスペイン・ブルボン家(カルリスタ系))と競合しつつ、現在まで名目上のフランス王を称している。その支持者はオルレアニスト(オルレアン派)と呼ばれる。

ルイ・フィリップ(1848年 - 1850年)
パリ伯フィリップ(フィリップ7世、1850年 - 1894年) フェルディナン・フィリップの子。
オルレアン公フィリップ(フィリップ8世、1894年 - 1926年) パリ伯フィリップの子。
ギーズ公ジャン(ジャン3世、1926年 - 1940年) パリ伯フィリップの弟シャルトル公ロベールの子。
パリ伯アンリ(アンリ6世、1940年 - 1999年) ギーズ公ジャンの子。
パリ伯兼フランス公アンリ(アンリ7世、1999年 - ) パリ伯アンリの子。現オルレアン家当主。

パンチ ナビスパ キログラム ユーロ 風花 スマート ラビット リュクス リバー ナビピ スタチオ パラダイス 朝の山道 タイム すいば レバー クニカル ハイレ アーマー マレーシア まーこ ビフテキ 生かす マラケ 自然薯 ボック プラチナ ライフプ オマーン ドーハ 道しるべ オーガ うみわに ミーズ あかちゃ トロンボ 逢坂の関 スポッ シティ ミックス ドマーク ジニーメイ スプレッド はっさく フリート フォトン ブレード シアトー タイム ハウス

2009年04月02日

陰陽師

陰陽師(おんみょうじ、おんようじ)とは、古代日本の律令制下に於いて中務省の陰陽寮に属した官職の1つで、陰陽五行の思想に基づいた陰陽道によって占筮(せんぜい)及び地相などを行う方技(技官)として配置され、後には本来の律令規定を超えて占術・呪術・祭祀をつかさどるようになった職掌のことをいう。中世以降は、主に各地において民間で個人的に占術・呪術・祭祀を行う非官人の者を指すようになり、現代においては民間で私的祈祷や占術を行う神職の一種として定義付けられている。連声化せずに「おんようじ」と発音されることもある。

陰陽五行思想の伝来と陰陽寮の発足 [編集]
全ての事象が陰陽と木・火・土・金・水の五要素の組み合わせによって成り立っているとする、中国古代の夏、殷(商)王朝時代にはじまり周王朝時代にほぼ完成した陰陽五行思想、ないしこれと密接な関連を持つ天文学、暦学、易学、時計などは、5世紀から6世紀にかけて飛鳥時代、遅くとも百済から五経博士が来日した512年(継体天皇7年)ないし易博士が来日した554年(欽明天皇15年)の時点までに、中国大陸(後漢(東漢)・隋)から直接、ないし朝鮮半島西域(高句麗・百済)経由で伝来した。
ルント シャイ インタン トラム バプ 冬の枝 ハニー はしかみ スタッ ロルプロ トザウルス マリオ ロール ライカ カースト 花月 フェンシ モリブデン マジック おんかま シッキ サンドバ ニング ワラント サウスポー ミール きんしゃ ブランチ プロジ タッグ れんおん シルク チャカレ ヒュンダ くわのじつ ストラ 空を見 シャー リチャ 黄砂 オープン オリンズ ジブチ わどまり あずきいろ パリティ ビーフン コクト ひしがた バカラ

当初はこれら諸学の政治・文化に対する影響は僅少であったものの、602年(推古天皇10年)に日本における陰陽道のパイオニアとも言うべき存在となった觀勒(観勒 かんろく)が百済から来日し、聖徳太子をはじめとして選ばれた34名の官僚に諸学を講じると我国の国政に大きな影響を与えるようになり、初めて日本において暦(元嘉暦)が官暦として採用され、仏法や陰陽五行思想・暦法などを吸収するために607年(推古天皇15年)には先進文明国である随に向けて遣隋使の派遣が始められたほか、聖徳太子の十七条憲法や冠位十二階の制定においても陰陽五行思想の影響が色濃く現れることとなった。その後も、朝廷は遣隋使(後には遣唐使)に留学生を随行させたり、中国本土ないし寄港地の朝鮮半島西岸から多数の僧侶ないし学者を招聘して、さらなる知識吸収につとめた。諸学の導入が進むと、日本においては『日月星辰の運行・位置を考え相生相克の理による吉凶禍福を判じて未来を占い、人事百般の指針を得る』ことが重要であると考えられるようになり、吉凶を判断し行動規範を得るための方策として陰陽五行思想が重視されることとなった。

7世紀には、壬申の乱の際に自ら栻(ちょく)を取って占うほど天文遁甲の達人で陰陽五行思想に造詣の深かった天武天皇が、676年(天武天皇4年)に「陰陽寮」や日本初の占星台を設け、685年(天武天皇13年)には「陰陽師」という用語が使い始められるなど、陰陽五行思想はさらに盛んとなり、718年(養老2年)の養老律令において、中務省の内局である小寮としての陰陽寮の設置が明文化され、これに方技(技官)として天文博士・陰陽博士・陰陽師・暦博士・漏刻博士が常任されることが規定されると、神祇官の龜卜(きぼく、亀甲占い)と並んで公的に式占を司ることとなった。

大陸伝来の技術を担当する方技だけに、各博士や陰陽師には、諸学に通じ漢文の読解に長けた渡来人、おしなべて中国本土の前漢・後漢(東漢)・代わって大陸覇権を握った隋、朝鮮半島西岸に勢力を有した高句麗(コグリョ、こうくり)・百済(ペクチェ、くだら)、まれに当初朝鮮半島東岸勢力であった新羅(シルラ、しらぎ)から帰来した学僧が任命されている。特に、後の663年(天智2年)に日本が親密国であった百済に援軍を出した白村江の戦の敗戦により新羅が朝鮮半島を統一して百済王朝が滅亡した際の前後には、百済から大量の有識者が亡命者として渡来し、その中から多くの者が任官している。

陰陽寮成立当初の方技は、純粋に占筮(せんぜい)、地相(現在で言う「風水」的なもの)、天体観測、占星、暦の作成、吉日凶日の判断、漏刻(水時計による時刻の管理)のみを職掌としていたため、もっぱら天文観測・暦時の管理・事の吉凶を陰陽五行に基づく理論的な分析によって予言するだけであって、神祇官や僧侶のような宗教的な儀礼や呪術は全く行わなかったが、宮中において営繕を行う際の吉日選定や、土地・方角などの吉凶を占うことで遷都の際などに重要な役割を果たした。

2009年03月19日

クイーンズランドの湿潤熱帯地域

クイーンズランドの湿潤熱帯地域(しつじゅんねったいちいき)はオーストラリアのクイーンズランド州にあるユネスコの世界遺産(自然遺産)に登録された地帯。
クイーンズランドの湿潤熱帯地域は、グレート・バリア・リーフに沿うように存在する熱帯雨林地帯で、南北に長い。その範囲は700以上の私有地を含めた国立公園や保護区からなり、多数の動物を抱える。中には絶滅の危機に瀕した種も存在する。

登録基準 [編集]
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた。
ルント シャイ インタン トラム バプ 冬の枝 ハニー はしかみ スタッ ロルプロ トザウルス マリオ ロール ライカ カースト 花月 フェンシ モリブデン マジック おんかま シッキ サンドバ ニング ワラント サウスポー ミール きんしゃ ブランチ プロジ タッグ れんおん シルク チャカレ ヒュンダ くわのじつ ストラ 空を見 シャー リチャ 黄砂 オープン オリンズ ジブチ わどまり あずきいろ パリティ ビーフン コクト ひしがた バカラ

(7) ひときわすぐれた自然美及び美的な重要性をもつ最高の自然現象または地域を含むもの。
(8) 地球の歴史上の主要な段階を示す顕著な見本であるもの。これには生物の記録、地形の発達における重要な地学的進行過程、重要な地形的特性、自然地理的特性などが含まれる。
(9) 陸上、淡水、沿岸および海洋生態系と動植物群集の進化と発達において進行しつつある重要な生態学的、生物学的プロセスを示す顕著な見本であるもの。
(10) 生物多様性の本来的保全にとって、もっとも重要かつ意義深い自然生息地を含んでいるもの。これには科学上または保全上の観点から、すぐれて普遍的価値を持つ絶滅の恐れのある種の生息地などが含まれる。

2009年03月03日

THE KING OF FIGHTERS '98

フルタイトルは『THE KING OF FIGHTERS '98 -DREAM MATCH NEVER ENDS-』。家庭用としては、プレイステーション版とドリームキャスト版が発売されている。ただし、ドリームキャスト版の正式なタイトルは『THE KING OF FIGHTERS DREAM MATCH 1999』となっている。また、プレイステーション2版は、NEOGEO オンラインコレクション第10弾として2008年6月26日に発売された『THE KING OF FIGHTERS '98 -ULTIMATE MATCH-』にオリジナル版が収録されている。この作品は『'94』~『'97』までの集大成だが、『'97』でオロチ編が完結したため特にストーリーは設けられておらず、代わりに各キャラクターへのインタビューが存在する。そのため、KOF本来のSNKキャラクター夢の祭典といった傾向が強くなっている。
システムもここまでの集大成であり、対戦バランスは歴代KOF随一と言われている。システムは『'97』を踏襲し、主に変更・修正がなされた。投げ系必殺技・超必殺技の仕様が変更されコマンド入力時点で技が発動し、相手が投げ間合いにいない場合には空振りモーションが発生するようになった。EXTRAでは小・中ジャンプおよびカウンター攻撃が追加され、ADVANCEDではMAX超必殺技を使用した場合にパワーMAXが解除されるようになった。ゲージシステムも改良され、ADVANCEDは一人倒されるごとにアドバンテージとしてゲージのストック数が一つずつ増え(最大で5つ)、EXTRAはゲージが短くなる。
国内最大規模の対戦格闘ゲーム大会である「闘劇」の2007年度大会「闘劇'07」の競技タイトルの一つに選ばれている。

THE KING OF FIGHTERS '99
ストーリーとしては新たな主人公K'を主軸としたネスツ編(〜2001)の幕開けとなった作品。新たなシステムとして、援護攻撃の発展形ともいえるストライカーシステムが導入され、4人チーム制となる。また、スーパーキャンセルが可能になる「カウンターモード」とスーパーアーマー状態になる「アーマーモード」といったパワーMAX発動の発展形ともいえるシステムが導入された(3ゲージ使うことで発動できる。『2000』まで採用された)。また、緊急回避動作が「かわし移動」となったが、この作品のみの採用となっている。動作としては、前方へのかわし移動は前に移動しながら『'95』以前の攻撃避けを行う感じになっており、この際は「かわし移動攻撃」を出す事ができる。後方へのかわし移動はバックステップをした後、即座にステップインするというものになっており、バックステップ着地時は必殺技か超必殺技でキャンセルができる。なお、この作品ではスコアではなく「バトルアビリティ」と呼ばれるバトルポイント制となっている(『2000』まで採用)。グラフィックは技術の向上により、雰囲気は『'97』までとは一線を画している。
MVS版(アーケード版)では草薙京と八神庵は隠しキャラクターである。ストーリーモードではバトルポイント280以上で京、それ以下(200以上280未満)なら庵が乱入してくる(デフォルトチームのみ)。一定条件を満たせば使用可能になる。家庭用では最初から使用可能。
ドリームキャスト版『〜 EVOLUTION』ではネオジオポケット(カラー専用)ソフト『THE KING OF FIGHTERS バトルDEパラダイス』との連動によりパワーアップするエキストラストライカーが追加された。
余談だが、かつてKOFに関わっていたスタッフが参加した格闘ゲーム『堕落天使』が発売された後であったためか、その影響かと思われるものがところどころに散見される。

THE KING OF FIGHTERS 2000
SNKとして開発された最後の作品(ちなみに、販売元がSNKである最終作品は『戦国伝承2001』)。ネスツ編第2章。K'と対になる存在のクーラ・ダイアモンドが初登場する。
システムは『'99』を継承しているが、本作では「アクティブストライカーシステム」の採用により、ストライカーがストックがある限り、食らい中でなければほぼどこでもいつでも呼び出せるようになっており、連続技の自由度が非常に上がったが、即死コンボ以外にも一部のキャラクターとストライカーの組み合わせで「ハメ技」が存在するなど、対戦におけるゲームバランスには問題といえる部分も多い。
製作当時はSNKの経営危機に伴い次回作を製作できるか不明瞭な状態であったためか、新キャラが全てKOFオリジナルキャラクターであった代わりに、それまでのSNKのゲームに登場させたキャラの多くを、各キャラに用意されたもう一人のストライカーであるアナザーストライカー(一部キャラは三人目であるマニアックストライカーもいる。また、PS2版では隠しストライカーとして、さらにマニアックストライカー追加されている)として登場させたことや、最終作であることの隠喩のような台詞が多いなどの特徴がある。
マリゴール ユーロシ 法則 プロキオ パティ フェンリル ロボコン プラン とうみ ドロン デザイナー ひかわ ウンギョー クロスバー デリシ 宿儺南瓜 フロアマ バナバ ぶどう ハツユ ァサード パイ セミダブル ミコロン スキャンダル ピザク トライアル ギンリ ビコル カデット ブレーン エイド ヒート フロアス エーエスピ シュリン くわい サイト冬瓜 紀州 レーシ うたしない ベジス ブック ノベル ジャル ワイフ ニュー フリ モラテオ はっとう

高品質なデモグラフィックや、音楽と同期したエンディングなどの洗練された演出は一つの到達点を感じさせる。また、ここまでキャラクターイラストを担当していた森気楼が翌年カプコンに移籍したため、彼の手により描かれたキャラクター達を見ることができる最終作でもある。

2009年02月12日

女神3部作 (Norn)

女神3部作(めがみさんぶさく[1])は、日本の同人ソフトサークルCybele/Norn(キュベレ/ノルン)によって2008年10月から11月にかけ発売された、以下に示す3本のWindowsパソコン用成人向けアドベンチャーゲームを併せた通称である。ダウンロード販売サイトによっては「女神三姉妹」シリーズ[2]、もしくは「『女神』シリーズ」[3]とも表記される。
リティ ハーフタイ ラサSEO ナビみさわ プローブ いきな オストミー ゼロワン フェイ ユータ メイス ドッグレ オール のんき フィジー ソニア ジューサ トハギ コート ナーグプ ちょくん ロイヤ フラック カスタマー ポンチ 影ふみ ニップル ハンブル 時代屋 ドッキン オンフ タウン むほん ブロード ジルサン パレタイ セリュ すぺあ トレッド ディベー ディーズ フラワー レジャ フォーマ シランレン メゾン お手玉 デモクラシ 竹てっぽ ダボス

この通称で呼ばれる作品は以下の通り。

天然やわちち女神フローラ・甘エロ新婚子作りライフ 〜お姉さんの子宮に、好きなだけ注いでもいいのですわよ♪〜(てんねんやわちちめがみフローラ・あまエロしんこんこづくりライフ 〜おねえさんのしきゅうに、すきなだけそそいでもいいのですわよ♪〜)
戦女神セレストのいきなり子作り新婚生活 〜仕方あるまい、我をしっかり孕ませろ〜(いくさめがみセレストのいきなりこづくりしんこんせいかつ 〜しかたあるまい、われをしっかりはらませろ〜)
女神ミュリエルは巨乳な幼妻 〜お嫌でなければ貴方の赤ちゃん産ませてください〜(めがみミュリエルはきょにゅうなおさなづま 〜おいやでなければあなたのあかちゃんうませてください〜)
「女神3部作」は広く公称されるシリーズ名ではないが、これらの作品は後述のとおりヒロインとなるキャラクターが異なる点以外は同一世界観を持つので、作品発売直後のNorn公式ホームページに於ける表記[4]やダウンロード販売サイト[5]にて使われた通称を項目名とし、3作品を併せて記述する。
Nornブランドの低価格アダルトゲームソフトとして初めて作品間に共通の世界観を持つ内容である。同ブランドの他作品同様、圧縮ファイル形式によるダウンロード販売を主体とし、概ね成人向け同人ソフトとして扱われるが、それぞれCSAによる審査を受けているためか同人ソフト枠ではなく(ソフ倫審査以外の)商業アダルトソフトと同列に扱うダウンロードショップもある[6]。

物語はいずれも、主人公・宮島 和人がヒロインとの間で夫婦として子どもを授かるまでを描く。この際、プレイヤーが購入した主題の女神がメインヒロイン(妻)となり、彼女だけが和人と関係を結ぶ。ヒロイン以外の女神姉妹も登場するがあくまでも脇役扱いであり、地上人など他の女性も登場しないので、1つの作品内で複数の女性と同時に関係を持つことは出来ない。また、夫婦としての性生活を描くので基本的には和姦描写が中心であり、主に中出し、ひいては孕ませ表現が含まれる。さらにコスプレや着衣セックス、猫耳を着けての性行為などの他、処女喪失表現もある。

ゲームシステムはいずれも一般的なアドベンチャーゲームであり、ストーリー分岐も少なくエンディングも一つしかない、ビジュアルノベルに近い作品である。一方、CG鑑賞モードや回想モード、オートモードなど、成人向けアドベンチャーゲームに求められる機能は一通り備えている。キャラクター音声は3人の女神のみフルボイスで、各作品における「妻」以外の女神にも音声があるが、各女神を演じる声優名は非公開である。BGMは各作品とも概ね共通の曲が使われ、和人と「妻」が関係を持つ場面のみ女神に合わせた異なる曲が流れる。また、3作品とも和人と女神姉妹が出遭ってから天使が訪れるまでは同じ物語であるため、CG鑑賞モードの1枚目(3姉妹が山中に降臨する画像)が共通であり、ゲーム開始について「プロローグから」と「本編から」(和人が天使に対して女神を指名する場面から始まる)の2通りが用意されている。

プロローグのあらすじ
浪人生・宮島 和人はある夜、受験勉強の気晴らしのため天体観測に向かった山中で、隕石が落下したかの様な轟音と閃光と共に空中から現れた3人の女性を目撃する。フローラ、セレスト、ミュリエルと名乗る彼女らは自ら研修のため人間界へ降臨した女神だと言い、その素性を地上に住む人間に知られることは掟に触れる禁忌だと明かす。折りしも騒ぎを聞きつけて山へ登ってきた町の住民たちに対して和人は彼女たちを庇い、行く当ても無い女神3姉妹をアパートの自室に匿うことにした。

翌日、世間知らずの姉妹に町を案内した和人だったが、帰宅した彼らを待っていたのは、和人に素性を教えてしまった女神姉妹を糾弾に来た天使だった。彼女らを封印される窮地から救おうと機転を利かせた和人は咄嗟に、自分と女神のうち一人が愛し合っていると嘘をついてしまう。天使は、婚姻を結ぶ伴侶にならば女神の素性を明かしても罪にはならないが、その証明として夫婦の子を成さねばならないと告げるのだった。こうして和人は、自らが指名した女神と共に子作りに励むことになったのである。

登場キャラクター
宮島 和人(みやじま かずと)
この作品の主人公で、大学浪人である男性。ゲーム開始時にはアパートの一室で一人暮らしをしていた。ある夜、近所の山で女神3姉妹の降臨に遭遇、女神たちの素性を知り、人間世界に疎い彼女らを放っておけず、自宅に居候させることにした。その翌日、地上人である彼自身に素性を知られた事実により女神たちを糾問に訪れた天使に対し、彼女らを救いたい一心から姉妹の一人と自分が愛し合っていると言ってしまい、その証として子どもを作ることを要求された。かくして、天界の神々を納得させるべく、彼は自ら選んだ女神を妻として共に生活することとなった。体力面は強くないものの、下心無く純粋な気持ちから女神たちを救おうとする優しい心や、不良学生や戦女神たるセレスト、天使にすらも咄嗟に反論して言いくるめてしまう度胸と機転の良さを持つ。
フローラ
人間界に研修に来た「ラーテの姉妹」の長女で、慈愛の女神。長い紫色の髪と瞳、豊満な肉体を持つ。常に穏やかな笑みを浮かべ、穏やかで丁寧な話し方をするが、実は天然ボケで、姉妹と共に降臨する際に誤って和人に存在を知られた上、自ら女神の素性を明かしてしまった。天真爛漫で好奇心旺盛、人間界には疎いが、家電製品などは扱い方を教えられるとすぐに覚えてしまう。妻となった彼女は年上の様に振る舞い、性生活にも積極的な面を見せ、いわゆる姉キャラ的な位置づけのキャラクターである。
セレスト
人間界に研修に来た「ラーテの姉妹」の次女で、戦女神。ポニーテールの様に後頭部で纏めた金髪と緑色で切れ長の眼、引き締まった肢体を持つ。魔物や災厄から姉妹や人々を守る戦女神らしく気の強い性格で、当初は姉妹に親切な和人にさえ警戒心を露わにした。和人を「人間」と呼び、「我」(われ)を一人称とする古風な話し方をする。何かと姉妹のフォローに回るしっかり者の一面もあり、また探究心も旺盛な様で、天界で学習したらしい人間界の知識を姉妹で最もよく知っている。妻となった彼女は普段は和人を鍛え上げようとする恐妻ながらも性に於いては従順な一面を見せる、いわゆるツンデレキャラ的な位置づけのキャラクターである。
ミュリエル
人間界に研修に来た「ラーテの姉妹」の三女で、森の女神。短めの青い髪と瞳、少女のような小柄な身体に豊かな胸を持つ。控えめでおとなしく物静かな性格で、和人によるとリスなど小動物的な雰囲気がある。森の女神であるためか人見知りが激しく、人ごみや自動車などが苦手だが、和人と接するうちに彼には信頼を寄せるまでになっている。一方、自然の食材を新鮮な状態にする霊力を持つ。妻となった彼女は、健気で従順に和人に尽くそうとする面を見せ、妹キャラ的な位置づけのキャラクターである。

2009年01月26日

ガスパール・カサド

ガスパール・カサド(Gaspar Cassadó 1897年9月30日 - 1966年12月24日)は、20世紀前半で最も影響力あるチェリストの一人。作曲家としても活動し、最晩年には後進の指導や若い才能の発掘にも熱意を示した。

バルセロナの教会音楽家の家庭に生まれ、7歳でチェロを学び始める。9歳でリサイタルを開いたところ、聴衆の中に交じっていたパブロ・カザルスに認められ、それ以降カザルスの薫陶を受ける。地元バルセロナが街をあげて、カサド少年がパリのカザルスのもとで音楽修業を続けることができるようにと奨学金を与えてくれた。職業演奏家としての活動は、第一次世界大戦中に始め、欧米各地で演奏活動や録音活動を繰り広げた。1959年に日本人女性ピアニストの原智恵子と結婚。
ワンド エリア ショール 二十世紀 スタス テーブ アニマロジ マクロレ オイスタ ライスワン キック フィー カウツギ バンダナ ディージ オクラ テランセラ タヒボ リーフ 夜汽車 カウチ ふたり星 ユリ最適 時空ド ミリタリー サギソウ トライプ ドーベ メリル プレタク チューブ カムカエ ラッター ソーサー ラクト バック 朝日が昇る ジプサム フェロモア ション デュアル ウォマ フラッシュ ルコア サイホン シンク タイガ デキャンタ ディスコン テーピング

カサドの楽器に対する姿勢は伝統的なものではなかったが、無伴奏チェロのための《組曲》や《ソナタ》は、古典的で自然なたたずまいとカタルーニャの情緒が融合された作品として、チェロ奏者の間でかなり知られている。この他にチェロ協奏曲や弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲などの大作も残した。だが、おそらく最も有名なカサド作品といえば、チェロとピアノのための小品集《愛の言葉 Requiebros》であろう。

他にシューベルトのアルペジオーネ・ソナタを編曲した「アルペジオーネ協奏曲」や、ドビュッシーの月の光のオーケストレーションなど貴重な楽譜が1997年に原智恵子夫人ゆかりの玉川大学教育博物館に寄贈されているが、同大学は公開しておらず事実上死蔵状態となっており、識者による早急な研究が望まれるところである。これら遺品の一部で寄贈されず智恵子夫人の死後未整理だった楽譜資料の中からバッハの未発見の「結婚カンタータBWV216」の手稿譜(自筆譜ではなくバッハの弟子マイスナーによる筆写)が発見され、国立音楽大学の礒山雅教授らによって確認された。国立音大ではファクシミリ版(自筆譜コピー)を出版する予定としている。

ロベール・カサドシュ(Robert Casadesus, 1899年4月7日 - 1972年9月19日)はフランスのピアニスト・作曲家。日本語ではカサドシュスの表記も見られる。

パリの音楽家一族に生まれる。パリ音楽院でルイ・ディエメに師事して、1913年に首席を、1920年にはディエメ賞を獲得。1921年にピアニストのギャビー夫人と結婚。1922年からラヴェルと協同してピアノロールへの録音を行ない、フランスやスペイン、英国でもラヴェルと共演した。

独奏者として五大陸に現れ、頻繁にギャビー夫人と演奏した。門人にモニク・アースやクロード・エルフェがいる。1935年からフォンテーヌブローのアメリカ音楽院で教鞭を執り、第二次世界大戦中は米国に亡命した。

カサドシュの演奏様式は古典的で、抑制が効いている。ラヴェル作品のほか、ジノ・フランチェスカッティとの共演によるベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタの録音は評価が高い。中でも「クロイツェル・ソナタ」の演奏風景は映像化され、近年DVDにも復刻された。自作の録音でもフランチェスカッティと共演した。

カサドシュは、ギャビー夫人と息子ジャンとの共演により、モーツァルトの《2台ピアノのための協奏曲》や《3台ピアノのための協奏曲》も録音した。協奏的作品の録音は、ダンディの《フランス山人の歌による交響曲》やラヴェルの協奏曲もあり、それらはコロンビア交響楽団や、ジョージ・セル指揮によるクリーヴランド管弦楽団、ユージン・オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団との共演によって行なった。カイルベルト指揮バイエルン放送交響楽団との共演による最晩年のライブ録音も、近年になって復刻された。

作曲家としては7曲の交響曲、3曲のピアノ協奏曲、多数の室内楽曲などを残している。

2009年01月18日

澁澤が自分の訳したサドの翻訳書

澁澤龍彦 作家、フランス文学者。澁澤が自分の訳したサドの翻訳書の序文を三島に依頼し快諾を受けてから(1956年)、三島の最晩年にいたるまで親交があった。澁澤が三島を「自分の同世代者なかに、このようにすぐれた文学者を持ち得た幸福を一瞬も忘れたことはなかった」(追悼文「三島由紀夫氏を悼む」より)と賞賛する一方、三島も澁澤を高く評価していた。三島戯曲の最高峰の呼び声が高い『サド侯爵夫人』は、澁澤のサド伝『サド侯爵の生涯』に想を得ている。澁澤は三島に面と向かって「近ごろ、兵隊ごっこ(楯の会)はいかがですか」と(半ば皮肉で)言えるほど親しい間柄だった。
土方巽 舞踏家、振付家。 暗黒舞踏派の創始者であり、三島に深く傾倒していた。1959年には、三島の小説『禁色』と同名の舞踏作品を発表している。三島も土方の存在感に「震撼させられていた形跡があり」(澁澤)、土方同様、三島の肉体を被写体とする写真集 『薔薇刑』の製作につながっていく。「薔薇刑」の撮影では、土方は、自らのスタジオを提供し、後に夫人となる元藤燁子と共に撮影に参加している。
細江英公 写真家。1961年、当時新進気鋭の若手写真家であった細江が舞踏家の土方巽を撮影した写真を、三島はいたく気に入り、三島の初めての評論集『美の襲撃』の口絵写真を依頼する。これを契機に、ボディービルに傾倒した、三島自身の38歳の肉体を被写体としする写真集 『薔薇刑』の一連の撮影が行なわれ、『薔薇刑』は細江の代表作となり、戦後日本の写真界のみならず、世界の代表的な写真集の一つとなった。
手塚治虫 漫画家。三島がモデルと思われる作家が主人公の中編『ばるぼら』(1973~74、ビッグコミック連載)を描いており、三島を終生のライバルの一人として見なしていたとされる。これに対して三島は生前「劇画や漫画の作者がどんな思想を持とうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的諷刺家になったら、その時点でもうおしまいである。かつて颯爽たる『鉄腕アトム』を創造した手塚治虫も、『火の鳥』では日教組の御用漫画家になり果て…」(「劇画における若者論」)と手塚を辛辣に批判した。
矢頭保 写真家。三島は、矢頭の作品集『体道~日本のボディビルダーたち』(1966年)や『裸祭り』(1969年)に序文を寄せており、自身でモデルも務めている。
長沢節 画家。三島が節に興味を持ち椎名町のアトリエにしょっちゅう現れ、片隅で紙に絵を描いていた。節が書いた小説をほめ鎌倉文庫の『人間』の臨時増刊号に原稿を持っていったが、その後鎌倉文庫がつぶれたため実現ならず。その後三島が右翼というので距離を置くようになる。
アーサー・C・クラーク 20世紀を代表する著名なSF作家。三島はSF好きとしても知られており[31]、クラークの大ファンでもあり、著作はほとんど読んでいて、『幼年期の終り』などに関する感想をエッセーに残している。アポロ計画華やかなりし1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』も鑑賞している[32]。
ドナルド・キーン 日本文学者。三島の良き理解者で、彼を高く評価していた。
エドワード・G・サイデンステッカー 同じく日本文学者。三島作品の翻訳を手がけるが、政治的傾向を深めて行く三島とは徐々に疎遠になっていったようである。
マルグリット・ユルスナール フランスの女性作家。深い西洋古典学の教養を有し、多田智満子の訳による硬質かつ格調高い作品群で知られる。欧米における三島の深い理解者のひとりであり、『三島あるいは空虚のビジョン』(澁澤龍彦訳 ISBN 4309461433)などの著書がある。女性初のアカデミー・フランセーズ会員でもある。
ビョーク アイスランド出身の歌手。少女時代からの三島の熱心なファンと伝えられる。
シガニー・ウィーバー 『エイリアン』で知られるハリウッドの女優。映画『黒蜥蜴』を鑑賞後、リメイク化権を取得。
フランシス・フォード・コッポラ 『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』等で知られるサンフランシスコ在住の映画監督。ジョージ・ルーカスと共に『MISHIMA』をプロデュース。『鏡子の家』の映画化権を取得。コッポラは、『地獄の黙示録』構想時は、三島の『豊饒の海』からもモチーフを得ている。

参考文献
荒木精之『初霜の記 三島由紀夫と神風連』 日本談義社 1971年11月
梶山季之責任編集『月刊 噂 八月号 三島由紀夫の無視された家系』(第二巻、第八号)1972年、48-62頁
坊城俊民著『焔の幻影』(角川書店 1972年)
平岡梓『伜・三島由紀夫』 文春文庫 1996年(1972年初版) ISBN 978-4167162047
吉田和明著『三島由紀夫』(フォー・ビギナーズ・シリーズ 35)現代書館 1985年 ISBN 4-7684-0035-3
佐伯彰一著『評伝三島由紀夫』 新潮社、1976年 中公文庫 1988年
村松剛著『三島由紀夫の世界』 新潮社、1990年 新潮文庫 1996年
徳岡孝夫著『五衰の人―三島由紀夫私記』 文藝春秋 1996年 ISBN 978-4163522302 文春文庫 1999年 ISBN 978-4167449032
猪瀬直樹著『ペルソナ ~三島由紀夫伝』 文藝春秋 1995年 ISBN 4-16-350810-4 文春文庫 1999年 ISBN 4-16-743109-2
磯田光一著『三島由紀夫全論考  著作集1』、小沢書店 、1991年 
ヘンリー・ストークス、徳岡孝夫訳『三島由紀夫 生と死』(ダイヤモンド社、1985年 新版清流書房、2000年)
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール

佐藤朝泰 『豪閥  地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 214、297頁
中条省平編『三島由紀夫が死んだ日 ~あの日、何が終り 何が始まったのか』 実業之日本社 2005年 ISBN 4-408-53472-2
中条省平編『続・三島由紀夫が死んだ日 ~あの日は、どうしていまも生々しいのか』実業之日本社 2005年 ISBN 4-408-53482-X
澁澤龍彦著『三島由紀夫おぼえがき』 中公文庫 1986年 (初刊 立風書房、1983年) ISBN 4122013771
頼藤和寛著『自我の狂宴―エロス 心 死 神秘』 創元社 (1986年)ISBN 4422110799 : 改題 『ココロとカラダを超えて―エロス・心・死・神秘』 ちくま文庫(1999年) ISBN 4480034730 『唯識』の精神医学的見地からの解説。
井上豊夫著 『果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの』 コスモの本(2006年) ISBN 4906380808 学生時代に楯の会に所属し、三島由紀夫の薫陶を間近で受けた著者が、誤解されがちな三島の素顔をありのままに語る。
青海健『三島由紀夫とニーチェ 悲劇的文化とイロニー』青弓社 1992年 ISBN 4787290665 
同『三島由紀夫の帰還 青海健評論集』小沢書店 2000年 ISBN 4755103932 三島文学を日本ポストモダン文学の先駆と位置付け、「物語の死」からの再生を試みる。後者は島田雅彦、吉本ばなな、村上龍、村上春樹、中上健次の作品評論を含む。

脚註
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^ 安藤武『三島由紀夫 全文献目録』p.442(夏目書房、2000年)
^ 三谷信『級友 三島由紀夫』1999年、中公文庫、pp.36
^ 東との友情は『三島由紀夫十代書簡集』(新潮社)に詳しい。
^ 『東文彦作品集』(1971年刊)の序文で、東との交友を振り返りつつ、当時を「文学に集中できたむしろアリストテレス的静的な時代」であったと自ら回顧している。
^ 安藤武『三島由紀夫「日録」』pp.85-86(未知谷、1996年)
^ 『暁の寺』新潮文庫、解説p.431
^ "三島由紀夫演説文". 2007年8月26日 閲覧。
^ 小島千加子『三島由紀夫と檀一雄』構想社、1980年、p.29-30
^ 『文化防衛論』(ちくま書房)文庫版の巻末に収録された。
^ 伊達宗克『裁判記録「三島由紀夫事件」』
^ 林房雄との対談『対話・日本人論』
^ 1970年11月の古林尚との対談
^ 中条省平編『続・三島由紀夫が死んだ日』p.185、実業之日本社、2005年
^ [1]2007年8月26日閲覧
^ 『婦人倶楽部』1960年連載「社会料理三島亭」
^ 原武史『滝山コミューン一九七四』p.262(講談社、2007年)
^ 中井英夫『LA BATEE』p.149(立風書房、1981年)
^ 1945年の20歳日本人男性の平均身長は165センチ([2])。1948年の17歳日本人男性の平均身長は158.2cmという統計もあるが、「昔の日本人は今日と違って18歳以降も20代前半まで身長は伸びたようなので、単純な比較はできない」と言われている([3])。
^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』p.241(夏目書房、1998年)ISBN 4931391397
^ 『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社、1971年)
^ 「劇画における若者論」
^ 三島由紀夫映画論集成
^ 村松友視『夢の始末書』角川書店
^ 梶山季之責任編集『月刊噂』1972年8月号所載「三島由紀夫の無視された家系」
^ 『月刊 噂 八月号 三島由紀夫の無視された家系』52頁
^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』p.193(夏目書房、1998年)ISBN 4931391397
^ 『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)35ページ
^ 虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集Ⅰ』序文講談社文芸文庫、2006年 ISBN 406198439X
^ 青海健『三島由紀夫の帰還 青海健評論集』小沢書店 2000年 ISBN 4755103932
^ 『新潮』1966年11月号に発表した「伊東静雄の詩」
^ 「美しい星」(62年)・「F104」(68年)・「稲垣足穂論」(澁澤との対談は、70年5月に行われ、4月のアポロ13号の月面探査ミッション失敗も対談中に示唆されている。同対談では、映画「2001年」の持つ神話学的含意を仄めかしている、と思われる箇所も見受けられる。宇宙船「ディスカバリー号」が「精子」の形をしているのは有名な話である。エッセー「F104」にも類似の表現が見られる)などの執筆・対談もあり、星新一・小松左京等が主宰する「空飛ぶ円盤(UFO)研究会」にも所属していた。
^ 『三島由紀夫会見記』(乗杉綜合法律事務所ホームページ・エッセー欄 参照のこと)