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澁澤が自分の訳したサドの翻訳書

澁澤龍彦 作家、フランス文学者。澁澤が自分の訳したサドの翻訳書の序文を三島に依頼し快諾を受けてから(1956年)、三島の最晩年にいたるまで親交があった。澁澤が三島を「自分の同世代者なかに、このようにすぐれた文学者を持ち得た幸福を一瞬も忘れたことはなかった」(追悼文「三島由紀夫氏を悼む」より)と賞賛する一方、三島も澁澤を高く評価していた。三島戯曲の最高峰の呼び声が高い『サド侯爵夫人』は、澁澤のサド伝『サド侯爵の生涯』に想を得ている。澁澤は三島に面と向かって「近ごろ、兵隊ごっこ(楯の会)はいかがですか」と(半ば皮肉で)言えるほど親しい間柄だった。
土方巽 舞踏家、振付家。 暗黒舞踏派の創始者であり、三島に深く傾倒していた。1959年には、三島の小説『禁色』と同名の舞踏作品を発表している。三島も土方の存在感に「震撼させられていた形跡があり」(澁澤)、土方同様、三島の肉体を被写体とする写真集 『薔薇刑』の製作につながっていく。「薔薇刑」の撮影では、土方は、自らのスタジオを提供し、後に夫人となる元藤燁子と共に撮影に参加している。
細江英公 写真家。1961年、当時新進気鋭の若手写真家であった細江が舞踏家の土方巽を撮影した写真を、三島はいたく気に入り、三島の初めての評論集『美の襲撃』の口絵写真を依頼する。これを契機に、ボディービルに傾倒した、三島自身の38歳の肉体を被写体としする写真集 『薔薇刑』の一連の撮影が行なわれ、『薔薇刑』は細江の代表作となり、戦後日本の写真界のみならず、世界の代表的な写真集の一つとなった。
手塚治虫 漫画家。三島がモデルと思われる作家が主人公の中編『ばるぼら』(1973~74、ビッグコミック連載)を描いており、三島を終生のライバルの一人として見なしていたとされる。これに対して三島は生前「劇画や漫画の作者がどんな思想を持とうと自由であるが、啓蒙家や教育者や図式的諷刺家になったら、その時点でもうおしまいである。かつて颯爽たる『鉄腕アトム』を創造した手塚治虫も、『火の鳥』では日教組の御用漫画家になり果て…」(「劇画における若者論」)と手塚を辛辣に批判した。
矢頭保 写真家。三島は、矢頭の作品集『体道~日本のボディビルダーたち』(1966年)や『裸祭り』(1969年)に序文を寄せており、自身でモデルも務めている。
長沢節 画家。三島が節に興味を持ち椎名町のアトリエにしょっちゅう現れ、片隅で紙に絵を描いていた。節が書いた小説をほめ鎌倉文庫の『人間』の臨時増刊号に原稿を持っていったが、その後鎌倉文庫がつぶれたため実現ならず。その後三島が右翼というので距離を置くようになる。
アーサー・C・クラーク 20世紀を代表する著名なSF作家。三島はSF好きとしても知られており[31]、クラークの大ファンでもあり、著作はほとんど読んでいて、『幼年期の終り』などに関する感想をエッセーに残している。アポロ計画華やかなりし1968年公開の映画『2001年宇宙の旅』も鑑賞している[32]。
ドナルド・キーン 日本文学者。三島の良き理解者で、彼を高く評価していた。
エドワード・G・サイデンステッカー 同じく日本文学者。三島作品の翻訳を手がけるが、政治的傾向を深めて行く三島とは徐々に疎遠になっていったようである。
マルグリット・ユルスナール フランスの女性作家。深い西洋古典学の教養を有し、多田智満子の訳による硬質かつ格調高い作品群で知られる。欧米における三島の深い理解者のひとりであり、『三島あるいは空虚のビジョン』(澁澤龍彦訳 ISBN 4309461433)などの著書がある。女性初のアカデミー・フランセーズ会員でもある。
ビョーク アイスランド出身の歌手。少女時代からの三島の熱心なファンと伝えられる。
シガニー・ウィーバー 『エイリアン』で知られるハリウッドの女優。映画『黒蜥蜴』を鑑賞後、リメイク化権を取得。
フランシス・フォード・コッポラ 『ゴッドファーザー』『地獄の黙示録』等で知られるサンフランシスコ在住の映画監督。ジョージ・ルーカスと共に『MISHIMA』をプロデュース。『鏡子の家』の映画化権を取得。コッポラは、『地獄の黙示録』構想時は、三島の『豊饒の海』からもモチーフを得ている。

参考文献
荒木精之『初霜の記 三島由紀夫と神風連』 日本談義社 1971年11月
梶山季之責任編集『月刊 噂 八月号 三島由紀夫の無視された家系』(第二巻、第八号)1972年、48-62頁
坊城俊民著『焔の幻影』(角川書店 1972年)
平岡梓『伜・三島由紀夫』 文春文庫 1996年(1972年初版) ISBN 978-4167162047
吉田和明著『三島由紀夫』(フォー・ビギナーズ・シリーズ 35)現代書館 1985年 ISBN 4-7684-0035-3
佐伯彰一著『評伝三島由紀夫』 新潮社、1976年 中公文庫 1988年
村松剛著『三島由紀夫の世界』 新潮社、1990年 新潮文庫 1996年
徳岡孝夫著『五衰の人―三島由紀夫私記』 文藝春秋 1996年 ISBN 978-4163522302 文春文庫 1999年 ISBN 978-4167449032
猪瀬直樹著『ペルソナ ~三島由紀夫伝』 文藝春秋 1995年 ISBN 4-16-350810-4 文春文庫 1999年 ISBN 4-16-743109-2
磯田光一著『三島由紀夫全論考  著作集1』、小沢書店 、1991年 
ヘンリー・ストークス、徳岡孝夫訳『三島由紀夫 生と死』(ダイヤモンド社、1985年 新版清流書房、2000年)
マッチョ シスター シャンソン ミズバシ ストック オタワ ビピンセット モカシ クアヘン ランプ ジョー たけのこ ハットピン スコー どひ ノーサンキュ ケース ブイカッタ バウハ テイクオフ ジェム デグレー バラモン ライト コモデ ダイナモ いえごん ミドル 陣の風 タブロイド キシレン オー ラテン レディ ムートン クオンツ パペット ユーレカ ホーム ターフビ ジュゴン オフショ パリジャ オフラ ブランド 学園祭 プロッター チャマ ハンドマッ バール

佐藤朝泰 『豪閥  地方豪族のネットワーク』 立風書房 2001年 214、297頁
中条省平編『三島由紀夫が死んだ日 ~あの日、何が終り 何が始まったのか』 実業之日本社 2005年 ISBN 4-408-53472-2
中条省平編『続・三島由紀夫が死んだ日 ~あの日は、どうしていまも生々しいのか』実業之日本社 2005年 ISBN 4-408-53482-X
澁澤龍彦著『三島由紀夫おぼえがき』 中公文庫 1986年 (初刊 立風書房、1983年) ISBN 4122013771
頼藤和寛著『自我の狂宴―エロス 心 死 神秘』 創元社 (1986年)ISBN 4422110799 : 改題 『ココロとカラダを超えて―エロス・心・死・神秘』 ちくま文庫(1999年) ISBN 4480034730 『唯識』の精神医学的見地からの解説。
井上豊夫著 『果し得ていない約束―三島由紀夫が遺せしもの』 コスモの本(2006年) ISBN 4906380808 学生時代に楯の会に所属し、三島由紀夫の薫陶を間近で受けた著者が、誤解されがちな三島の素顔をありのままに語る。
青海健『三島由紀夫とニーチェ 悲劇的文化とイロニー』青弓社 1992年 ISBN 4787290665 
同『三島由紀夫の帰還 青海健評論集』小沢書店 2000年 ISBN 4755103932 三島文学を日本ポストモダン文学の先駆と位置付け、「物語の死」からの再生を試みる。後者は島田雅彦、吉本ばなな、村上龍、村上春樹、中上健次の作品評論を含む。

脚註
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^ 安藤武『三島由紀夫 全文献目録』p.442(夏目書房、2000年)
^ 三谷信『級友 三島由紀夫』1999年、中公文庫、pp.36
^ 東との友情は『三島由紀夫十代書簡集』(新潮社)に詳しい。
^ 『東文彦作品集』(1971年刊)の序文で、東との交友を振り返りつつ、当時を「文学に集中できたむしろアリストテレス的静的な時代」であったと自ら回顧している。
^ 安藤武『三島由紀夫「日録」』pp.85-86(未知谷、1996年)
^ 『暁の寺』新潮文庫、解説p.431
^ "三島由紀夫演説文". 2007年8月26日 閲覧。
^ 小島千加子『三島由紀夫と檀一雄』構想社、1980年、p.29-30
^ 『文化防衛論』(ちくま書房)文庫版の巻末に収録された。
^ 伊達宗克『裁判記録「三島由紀夫事件」』
^ 林房雄との対談『対話・日本人論』
^ 1970年11月の古林尚との対談
^ 中条省平編『続・三島由紀夫が死んだ日』p.185、実業之日本社、2005年
^ [1]2007年8月26日閲覧
^ 『婦人倶楽部』1960年連載「社会料理三島亭」
^ 原武史『滝山コミューン一九七四』p.262(講談社、2007年)
^ 中井英夫『LA BATEE』p.149(立風書房、1981年)
^ 1945年の20歳日本人男性の平均身長は165センチ([2])。1948年の17歳日本人男性の平均身長は158.2cmという統計もあるが、「昔の日本人は今日と違って18歳以降も20代前半まで身長は伸びたようなので、単純な比較はできない」と言われている([3])。
^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』p.241(夏目書房、1998年)ISBN 4931391397
^ 『定本三島由紀夫書誌』(薔薇十字社、1971年)
^ 「劇画における若者論」
^ 三島由紀夫映画論集成
^ 村松友視『夢の始末書』角川書店
^ 梶山季之責任編集『月刊噂』1972年8月号所載「三島由紀夫の無視された家系」
^ 『月刊 噂 八月号 三島由紀夫の無視された家系』52頁
^ 安藤武『三島由紀夫の生涯』p.193(夏目書房、1998年)ISBN 4931391397
^ 『三島由紀夫の世界』(新潮社、1990年)35ページ
^ 虫明亜呂無編『三島由紀夫文学論集Ⅰ』序文講談社文芸文庫、2006年 ISBN 406198439X
^ 青海健『三島由紀夫の帰還 青海健評論集』小沢書店 2000年 ISBN 4755103932
^ 『新潮』1966年11月号に発表した「伊東静雄の詩」
^ 「美しい星」(62年)・「F104」(68年)・「稲垣足穂論」(澁澤との対談は、70年5月に行われ、4月のアポロ13号の月面探査ミッション失敗も対談中に示唆されている。同対談では、映画「2001年」の持つ神話学的含意を仄めかしている、と思われる箇所も見受けられる。宇宙船「ディスカバリー号」が「精子」の形をしているのは有名な話である。エッセー「F104」にも類似の表現が見られる)などの執筆・対談もあり、星新一・小松左京等が主宰する「空飛ぶ円盤(UFO)研究会」にも所属していた。
^ 『三島由紀夫会見記』(乗杉綜合法律事務所ホームページ・エッセー欄 参照のこと)

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2009年01月18日 15:01に投稿されたエントリーのページです。

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